おもしろき こともなき世を おもしろく  すみなすものは “感動” なりけり

ホント、我が家の息子たちの子育ては、手探りです。

成長するにつれ、発達特性が際立ってきまして……^^;

とくに上の子(中3)が顕著です。

この子は、小学生の頃は、学校が大好きで、習っていた武道の合宿なんかも喜んで参加していたため、完全に油断していました。

小学校卒業頃から徐々に特性が出始め、中学で完全に「開花」しました。

そりゃもう、この3年は、この子との格闘でした。

ここでいったん振り返ってみたいと思います。

■まず、朝、起きられなくなりました

中1の2学期頃から、長男は、朝が起きられなくなりました。

ゲームが大好きな子なので、私も妻も、スマホとゲーム依存ではないかと疑いました。そのことを指摘すると、長男は、ものすごい反応というか反発をし、その暴力性にまずぼくが反応して、文字通り「取っ組み合い」の喧嘩になりました。

ぼくも大人げなく長男をねじ伏せ、馬乗りになって押さえつけたり……。

今考えると、本当にダメダメでしたね……。

そんなことをしても、長男は心を閉ざすばかりで、まったく根本的解決になどなりませんでした。

冷静になって妻と二人、いろいろと調べたところ、「起立性障害」というものがあると。

さっそくその専門医という方をみつけ、長男と三人で診断を受けました。

ところが……綿密に診察や検査をしてもらったところ、結果は「白」。

起立性障害ではない、という診断結果になったのです。

その医師は、スマホ依存の専門家ということで、原因はそれではないか、ということになりました。

しかし、そのころ、ぼくは自分の発達特性を手掛かりに、長男の心の中に入り込む試みをしていました。

どうも、引っかかる。

単なるスマホ依存ではないように思えてなりませんでした。

実は、妻の弟が、やはり中学生時代、不登校になって、中学に登校したのは卒業証書をもらう20分間だけ、というツワモノ^^;で、その後も睡眠障害から睡眠薬に走り、それが利かなくなると、アルコール依存。自殺未遂も何度も起こしていました。これが妻のトラウマになり、スマホやゲーム依存に対する物凄い憎悪が、そのころの妻にはあったのです。

自分のお腹を痛めて産んだ子が、弟と同じ事態になったら……という凄まじい強迫観念で、このころの妻は、心を病みかけていました。

その病みかけた心が、スマホ依存という「仮想敵」を作り上げ、その専門医の判断に疑問を持ったぼくに対しても不信感を抱くようになりました。

自慢じゃないですが、ぼくら夫婦はそれまで、喧嘩一つしたことのない、オシドリ夫婦でしたが、このときは何度も喧嘩をし、離婚の危機もありました。

それでも、ぼくは、長男の行動の大元がスマホ依存ではないように思えてならなかったのです。

スマホに依存しているようにみえるのは、もっと奥底の「なにか」が真の原因なのだと……。

■真の原因は、「違和感」でした

その専門医にかかって、今思うと「唯一」よかったことは、長男のIQを測定したことでした。

その測定結果は、医師も驚くほどの高IQだったのです。

3千人ほどの子供たちを診てきた医師が、「こんなIQはみたことがない!」という高IQでした。

この高い知能で、長男は、実に冷徹に「学校の不合理」を見抜き、それが我慢ならなかったのです。

たとえば、体育祭練習のさいに教師が発する怒号。

たとえば、掃除のときに、もう要領よく終わった生徒を、一切の私語を禁じてじっと体育座りで待たせる理不尽。

たとえば、学校の不合理と思われるルールの根拠を問いただしても「ルールだから守れ!」と返される何の説明にもなっていないことへの論理的不満。

それは、ぼく自身がかつて学生時代、腹が立ってならなかったことと見事に符合していたのです。

ぼくはテキトウなズルさでそれらを処理してきましたが、長男は、それができなかったのです。

それは、長男の方が比較にならないほど論理的な明晰性を持っており、その純度が高すぎるために起きたトラブルでした。

このことを、ぼくは妻に「翻訳」して伝えました。徹底した論理的明晰性は持っているものの、それによって見えたことを十分表現できるだけの「語彙」を、長男はまだ持っていなかったからです。

まず長男と、僕自身の特性を手掛かりに、じっくり話し合い、彼の心に引っかかっていることを、一つ一つ「コトバ」に変換していきました。

その作業は、長男に「語彙」を持たせることにつながり、急速に長男は自分の心の内奥を表現できるようになっていきました。

その様子を目の当たりにした妻も、また変わっていきました。

彼女自身も、「コトバ」を持ち始めたのです。

長男と妻、そしてぼくは、「共通言語」を持つことに成功し、非常に明確な「対話」ができるようになりました。

つまり、長男が起きられない本当の原因は、「学校の不合理に対する違和感」だったのです。

不快な違和感だらけの学校に行くということと、朝起きる辛さを秤にかけ、どう考えても辛さを押して起きる理由が見当たらなくて、彼は起きないことを選択していたのでした。

この論理に対して、ぼくは反論できませんでした。

僕自身、ものごとの「論理性」には非常にこだわりがあり、大学でも哲学を専攻した経緯もあり、どうしても長男の言っていることに、論理的間違いが見いだせなかったのです。

■私たち自身の価値観も見直すことになりました

ぼくは、受験戦争真っただ中で育ちました。

受験戦争を勝ち抜き、いい大学に入ることだけが道であり、その道を外れると、大変なことになる……そういう世界で育ちました。

なので、息子たちにも、同じ価値観に当てはめて考えていたのです。

ぼくと妻は、まずこの価値観を叩き壊すことにしました。

長男にとっての幸せとは何か?

どういう道に進むことが、彼にとって幸福なのか?

それは、長男自身も、まだわかりませんでした。

それはそうです。まだ中学生なのですから。

ただ、学校に通い、よい成績をとり、受験してよい高校に入り、よい大学に行き、よい企業のサラリーマンになることが、長男にとって大きな「違和感」であることだけは確かでした。

ぼくと妻は、まずその違和感を尊重し、それと冷静に向き合うことにしたのです。

■彼の「楽しみ」は、意外なところにありました

そんなとき、たまたま隣接して住む妻の両親が、長男にとても助けられるということがありました。

公認会計士事務所を営む義父は、家で仕事をしていた際、ちょっとしたPCのトラブルに見舞われました。その方向が苦手な義父が困っていると、長男が寄っていき、ネットで調べながら、そのトラブルを解決してしまったのです。

義父は大いに喜びましたが、それよりも大きな喜びに笑顔になったのは長男でした。

そう、彼の大きな楽しみは、自分が誰かの困ったことを解決してあげることだったのです。

思えば、彼は料理が好きでしたが、それも自分が作った料理を家族が喜んで食べることに楽しみを覚えていたのです。

しかも、自分が大好きな理数系の知恵を使って、PCトラブルを解決するということに、それまで味わったことのない楽しみを、彼は感じ取ったのです。

「ぼくは、早く自分で仕事がしたいんだ」

長男は、訥々とそう言いました。

そうか、この子は、机上の空論を学校で学ぶより、すぐに人のために役立つ行動をしたいんだ!

そこから、道が拓けるのは、速かったのです。

■道が、見えてきました

ぼくと妻は、長男と話し合い、ひとつの仮プランを立てました。

学校に行かない日は、自分の本当にやりたい勉強をしよう。

じっくりヒアリングすると、長男のやりたい仕事というものが、だんだん具体性をもって見えてきました。

なるほど、それを実現するための武器になるのは、ネットワーク技術の資格と中国語だな。

長男も、目からウロコだったようで、爛々と瞳を輝かせました。

さっそく妻の友人が中国語を教えられるので、家庭教師を頼みました。

ネットワーク技術の資格は、シスコシステムズのCCNAという資格があることを知り、それを目指すことにしたのです。

ただ、この資格は大人でも難度が高く、独学で勉強するにはハードルが高いものでした。

そんな中、通信制高校がいま、とても進化していることを知りました。

実際に妻といくつも足を使って見学に行ってみると、そこには長男と同じような、賢いがゆえに生きづらさを感じている子供たちが、実に活き活きと生活していたのです。

その通信制高校のひとつが、家庭教師事業を母体とするところで、豊富な家庭教師ネットワークの中に、なんとCCNAも教えたことがある先生がいたのです。

結局、長男は、ここを中学校のサポート校として通うことに決めました。

当面は、試験的に通いながら、様子を見ることにしましたが、先日、1回目の通学で、長男は喜色満面で帰ってきました。

先生が、「今日はなにを勉強したい?」と聞いたところ、長男は「微分積分!」と答え、先生もそれを面白がってくれて、実にエキサイティングな時間になったとのこと。

次は、CCNAの先生も登場するとのことで、いまから長男はワクワクしています。

■まとめ

この試みは、始まったばかりです。

進めていく中で、また別の違和感が出てくるかもしれません。

でもぼくたちには、これまで真正面からぶつかってきた経験があります。

その違和感は、また対話して明確にし、乗り越えればよいのです。

長男には、「これは、君の人生を楽しくするための実験だ」と伝えています。

実験は、傍観者ではなく、当事者であることによって、とても楽しいものになる。自分で積極的に試行錯誤することを、彼もいまは楽しんでいます。

さて、この実験がどういう成果になるか。

我が家では、不登校するならするでよい。だけど、「発展的不登校」にしよう、と決めました。

この実験は、まだ、始まったばかりです。


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