おもしろき こともなき世を おもしろく  すみなすものは “感動” なりけり

発達障害というコトバがいまいち好きではない理由

プロフィールにも書きましたが、我が家では、どうも「発達障害」というコトバがいまいち好きではなく、といいますか、「ピンとこない」といった方がよいでしょうか……ほとんど使っていません。

今回は、完全に「独断と偏見」(あまり偏見とも思っていないのですが……)で書きたいと思います。

■まぁ、そんなに大きな意味はないといえばないのです

別に、「障害」というコトバにナーヴァスになっているわけでも、もちろん「障害」というコトバを差別的なマイナスイメージでとらえているわけでもありません。

なんといいますか、あまり「障害」というコトバを強調しすぎてしまうと、「●●ができない」とか「●●を行うのに制限がある」という意味合いが前面に出てしまう感じがするのです。

もちろん、我が家の全員が、発達特性をもっていますので、「生きづらさ」はあります。いや、かなりあります。

ぼくや妻はまだ、さほど特性が重くはないので、うまいこと折り合いをつけて世の中を渡っていくことができています。そりゃそれなりにかなり努力してますけどね。

ただ、息子たちは、ぼくらに比べてずっと特性が強く、またなにぶん子供ですので、「上手に折り合いをつけ、調整しながら……」ということが、極端にニガテです。

あ、そうか、書いてて気づいたのですが、「障害」というコトバより「ニガテ」というコトバの方がピンとくるのかもしれません。

もちろん、世の中には、この特性が強すぎて、本当に「障害」として抱えていらっしゃる方も多いと思います。それは、堂々と「障害です」という必要もあるでしょう。そもそも、精神面だけでなく、肉体的にも障害をかかえていらっしゃる方はたくさんおられますし、しっかりと障害を認知し、支援することによって、社会は本当の意味で多様であるといえるのです。

一方で、まだまだこの国では、「障害」というコトバが必要以上に重たさを持ってしまっていることも否めません。「障害」と聞いてしまった側が、無用に構えてしまって、まるで腫物に触れるような感じになってしまうことも、少なくないように思います。

なので、「障害」というコトバを使わずに済むのであれば、強いて使わずに、「あ、大きい音がニガテなもんで」ぐらいのニュアンスで済ませたいなぁ、と私たち家族は思っているわけです。

■逆に、「特性」というコトバは積極的に使いたい

逆にですね、「あ、オレ、大きい音がすごくニガテなんだけど、その分、音には敏感なんだよね」みたいな「特性」「特長」としてアピールしてもよいのではないかなんて思っています。

「特性」を「障害」として抱えている方がおられるように、「特性」を「特長」に転ずることができる人も多いように思えるのです。

音楽家にしろ、画家にしろ、世の芸術家たちの中には、そういう「転化」することによって素晴らしい作品を世に残した人も多いのです。

また、すさまじい「こだわり」を突き進んだ結果、とてつもない発明をした人だっているわけです。

我が敬愛するスティーブ・ジョブズだって、それはそれはものすごい「こだわり」の人で、自分のイメージしたものを徹底的に妥協なく現実化するために、多くの「特性」的なエピソードを残しています。

よくいわれる、気に入らないものを結果として作ってしまった社員に、手が付けられないほどの悪口雑言をぶちまける、なんてことも、彼の極端な「こだわり」という特性のなせる業で、別に悪意も何もないわけです(もちろん、彼も人間ですから、単に人間の好き嫌いで罵詈罵倒なんてこともあったでしょうけどね)。

なにが言いたいのかといいますと……、

「特性」を持った人は、それによって生活に支障をきたさないかぎり、強いて「障害」というカテゴリーに収まるより、「特性」として逆にアピールすることによって、その「特性」を「開花」させやすい環境を手に入れることもできるのではないか、と思うわけです。

世界を変えてきた人のとても多くが、「特性」を持っていたわけですから、

その「特性」を徹底的に伸ばせる環境を与えてやりたいなと思う次第です。

なので、我が家では、「スペシャル」という言い方を用いて、「なに、君は学校の論理的理不尽を許せないわけか? いいじゃん、いいじゃん。めっちゃスペシャルじゃん!じゃあ、その理不尽の原因を、徹底的に論理的に分析してごらんよ。お父さん、大学で論理学を学んだから、君の考えに論理的矛盾がないかチェックしてやるぜ」みたいな方向で、試行錯誤しております。

■まとめ

目指しているところは、

迎合でもなく、妥協でもなく、現実逃避でもなく、ただただシンプルに、息子たちが日々感じ取っている矛盾や生きづらさの奥底にある「論理的妥当性」みたいなものを拾い上げ、そこに正しさがあればそれを認めてやることで、彼らの「特性」を委縮することなく伸ばしてやりたい、ということを、いまのぼくたち夫婦は試しています。

これが正解なのかどうかはまだわかりませんし、その答えが出るのはそれなりの時間もかかるでしょう。

ただ、その長い時間を、なるべく楽しく、ゲラゲラ笑いながら共に進みたいと願っています。

もちろん、悠長に構えているわけではありません。

「取り返しのつかない」ことにならぬよう、昨今急速に「進化」し続けているサポート校制度や、通信制学校制度、IT技術なんかも総動員して、選択肢はなるべくたくさん提示しながら進みたいと思っています。

けど、やっぱりキーワードは「特性を楽しむ」ってことなんですよね。

「スペシャル」という言葉は、そのとっかかりと考えています。


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