簡単には惚れないんだけど、いったん惚れると、徹底して惚れ込む気質が、確かに私にはある。
ええ、多分にアスペルガー的気質ですよ。
だけじゃなく、ADHD的な気質もありますよ、自分。
ぜんぜん否定しないし、むしろそういうの「スペシャル」なんて呼んで、全肯定してます、うちの家庭文化は。
まぁそれはいいとして。
アスペルガー➕ADHD って、そりゃいずれ来ますよ。
「あの熱狂って何だったの?」
ってくらいアッサリ興味が失せる時って。
来ない時もあります。
例えば、自分の場合だと、Apple、Adidas、ARC’TRYXあたりは、もう何年も気に入ったまま、ぜんぜん愛情が失せません。
その一方で、もう記憶にも残っていないものたちは、きっと数えきれない感じがします(そんな気がする、としかいえないのです。何しろ覚えていないので)。
これ、そのまま<人間関係>にも置き換えることができるところが、コワイところですね。
例えば、私はバツイチですが、
前妻関連の記憶が、本当に、掛け値なしに、ほぼゼロです。
それは、悪意とかストレスとかそういうことではなくて、単純に「興味が失せたから」なんですよね。
興味のないものって、「過去、現在、未来、一切存在しない」ってことなんです、私の頭の中じゃ。
でも、皆さんも、
現在、未来はさて置いても、過去ってそういうトコありません?
過去って、時間が経つほど、正確さを失うでしょう? で、実はかなり自分で都合よく作っちゃったりしてません?
「過去」の扱いなんて、そんなもんです。
私の場合は、そういう「捏造」ではなくて、「全消去」するというだけのこと。
今もなお好きであり続けているApple、Adidas、ARC’TRYX。
まぁ、厳密にいえば、昔ほどの熱意はないかもな。Appleはジョブズ亡き後、イノベーションの欠如が著しいし、Adidasはひっじょおに質がいい素材と全然イケてない素材……素材の貧富差があるし、ARC’TRYXはあの完璧といえた美しいデザインが揺らいできています。
でも、それでもまだまだ許容範囲を大幅に超越しているので、しばらくは好きであり続けるでしょう。
そして、これらのブランドに共通しているのが、
「物ではなく、体験」
を提供するというコンセプト。体験というのは、ライフスタイルであったり、ストーリーであったり、
「ああ、これと接していると、なぜこんなに心が豊かになるのだろう」
という「なんか、いいよな」感ですが、
この「なんか、いいよな」感を新たに提供してくれているのが、
今は、PATGOODCAFFEなのです。
この「なんか、いいよな」感は、
企業の急成長や店舗の急拡張などによって、いともカンタンにぶっ壊れます。
どうか、そうなりませんように……。